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“One Thing Special”~ひとつだけしかない、価値あるもの。

グレン・オクマさん、ハワイ秘伝のクラフト・アート、“ラウニウ”について語る。

 

ヤシの葉で編まれたハワイの伝統的なクラフト・アート、“ラウ・ニウ”。
その純粋なハワイの伝統と精神を40年間守り続けている “ラウニウ・アーティスト”、
グレン・オクマ氏。彼が編みこむ“パターン・ワーク”は、ハワイでも現在引きぐ人は希少だと
いわれています。大自然や良き人々たちから多くを学んだよ、と話すグレンさん。
彼のハワイアン・スタイルの生き方、そしてラウニウについて、インタビューしました。

 

 

 

 

 

Q1:ご出身は?
このハワイの土地に生まれ育った、僕はカマアイナ・ハワイアン。
まだハワイがアメリカに占領されていた時代に、僕はオアフ島で生まれました。

Q2:ご家族について
僕の祖父の世代、いわゆるハワイのプランテーション時代に家族が日本からハワイへ移民をしました。 オクマ、いう名前は、日本の沖縄がルーツです。つまり僕は、ハワイアン・オキナワン。父はオアフ島の ホテル・マンでした。僕も20代の頃はホテルマンをしました。僕には4人兄弟がいます。兄は今でも ワイキキのビーチでサーフィンやカヌーを教えています。ワイキキ・ビーチで、「オク」って呼ばれている人が いたら、それは僕の兄さんだよ・笑。また、僕の息子は、現在アメリカ本土で家族と暮らしています。

Q3:ラウニウとは?
ラウニウとは、ココヤシの葉で編む伝統的なクラフト・アート。ハワイアン・スタイルのラウニウは、1枚の葉を 使って連続的に編みこんで、ヤシの葉のバスケットや帽子などを作ります。パターン・ワーク、と呼ばれる さまざまな手法、技術があります。現在ではほんとうに引き継ぐ人は、少なくなりました。

Q4:オアフ島、ビーチボーイ時代
1970年代当時、まだ多くの人に受け入れられていなかったハワイアン的な生活、自然の中でのんびり 暮らす“ビーチ・ボーイ”・スタイルの生き方を、僕は早い時期に始めていました。モアナ・サーフライダーなど のワイキキ・ホテルでは、正式なハワイアン・カルチャーを伝授された人だけが招かれて、ハワイ文化を紹介 することができた。つまりホテルで紹介しているときだけ、ハワイアンとして認められたんだ・笑。ラウニウに ついて旅行客に紹介したり、販売したりして、僕も生計を立てていた。 それ以降僕は、ウィービング・ラウ・ニウ(ヤシの葉編みのクラフトアート)を40年間作っているんだ。

Q5:ラウニウを始めたきっかけは?
ホテル・マンとしてオアフで働いていた頃、ワイキキ通り沿いのヤシの木の下で、いつもヤシの葉を器用に 編んでバスケットを作っている男がいました。僕より10~15歳年上のハワイアンだったよ。観光客の 女性たちが彼のバスケットを見て、嬉しそうに買っていった。バスケットが売れると、男はヤシの木の下で また寝転がったり、のんびりとまたバスケットを編んでいました。当時、ホテル・マンの僕の給料は時給 1.25ドル。まあまあ当時としてはいい給与だったんだ。でもその男は1日に3~4つバスケットを作る だけで、僕の数倍の日給を稼いでいた。彼の人生は、上司に指図されることもないし、タイムカードに 縛られることもなかった。僕は・・ああ、このライフスタイルがしたい!って、シンプルに思ったんだ。
僕は彼の仕事に興味を持って、「そのバスケット作りを教えてくれない?」と男に訊ねた。彼の答えは いつもきまって、「No。帰りなさい。」だけだったよ。僕はそれでも毎日のように、彼にポイや魚などの ハワイアン・フードや、飲み物を差し入れしたんだ。1年ぐらい経ったころ、ようやく彼は僕と打解けて くれた。そして、1つだけ、編み方を教えてやるよ、って言ってくれたんだ。

Q6:ヤシの木の下の男に教えてもらったこと
口承文化のハワイアンたちは記憶力がとてもよくて、たった1回編み方を僕に見せてくれるだけ。これが 彼らの教え方のスタイルだった。僕が彼にビールを差し入れした日なんかは、いつも彼はすぐに酔っぱらって しまったしね・笑。最後まで何かを教えてもらったことはなかったよ・笑。
ヤシの葉編みは、葉脈から二つに切り分け、それから立体に編み始める。素人が作ろうとしても葉がするっ と滑って落ちてしまうし、いつまで経っても簡単に織れるものではないんだ。だから複雑な編み方をマスター するまでは、大変な労力が必要だった。

Q7:誰にも教えないという約束
一つだけ、そのハワイアンの男と約束があった。それは、「誰にも編み方を教えてはいけない」ということ。 昔からハワイでは、ヤシの葉を編んで形にすること、その編み方には伝統的に秘密が隠されていたんだ。 他の人には教えない、そうすることで正しい伝統を守り、One thing special(一つしかない価値) を高めて行くことにつながった。それは昔、大切な家族のため生計を立てる手段でもあったんだよね。 だからハワイアンたちは彼らの秘伝を、簡単に他人に教えるということはあまりしなかったんだ。

Q8:制圧されてきたハワイの芸術、ラウニウ。
ハワイの王族制度の崩壊により、すべてのハワイの文化は一時、制圧された時代があったけれど、この ラウニウは、実は今でも抑制されているハワイのアートのひとつ。ココヤシの木に登って葉をとったり編んで、 公の場で販売することは、アメリカの法律で禁止されているんだ。ただし、ホテルのような特殊な場所は 別だけどね。今でも昔ながらの方法で少数の人が、伝統的なラウニウを作り、個別には売っている。 それで、ラウニウというアートを身近に見るということは、今では希少なことなんだ。

Q9:ラウニウは、男性の仕事だった
ラウニウは、かつてハワイでは男だけが作るものだった。というのはハワイの伝統では、女性はココヤシの葉 を編むことはできないという言い伝えがあったからなんだ。ひとつの理由は、“ニウ”とは、戦争の神である、 クーに関係していたということ。だから女性たちはかわりに、ラウハラ(パンダナス)の葉で作るマットや、 カヌーの帆などを作っていた。

Q10:ヤシの葉編みをしながら、一番学んだことは?
Secret of Material。つまり、植物そのもの、自然について学ばされたよ。 植物にはいのちがあり、すべてにはスピリットが宿っている。つまり、植物に対するリスペクトの気持ちを 大切にする、ということを一番学んだと思う。それに、アートを習得するということには、みんなそれぞれ、 いくつかのステージ(段階)があると思う。


Q11:次の世代に引き継ぐことについて
まだ弟子というものはとっていないけど、本気でやりたいという人が出てきたら考えるかも知れないね。 息子たちもヤシの葉編みのクラフトアートを学んできたよ。次の世代は、僕らよりも早く簡単にマスター できる。僕らがしてきた多くのプロセスを、すべて同じように通過しなくていいからだ。時代も違うしね。 僕自身も、このラウニウというアートについて、次の世代に語り伝えていきたいなと思っている。


Q12:人生で一番幸せだなと感じること?~No worry!
人生で幸せと感じる時?そうだなぁ、マッサージを受けている時かな・・笑。 僕はマッサージを受けるのが大好きだよ。幸せについてか、うーん、それは1つではいいきれないな。 僕にとっては、No worry!心配のない状態のこと。それから健康。これも幸せなことだよね。 かっこいいことは言えないけど、自分がこれだ!と思うことがあったら、それを信じ突き通していくこと。 またたくさんの人と話をして柔軟な頭を持ち、“時”(チャンスやタイミング)を見極められる自分で あること。こういうことを僕は、大切にしてきたよ。


Q13:将来の夢は?
最近この歳になって、今まで持っていたモノをどう手放し、どうやってもっとシンプルに生活していくかを、 今あらためて見つめている。これが僕の目標でもあり、夢だよ。 ラウニウという職業は、老後を保証されているものではない。だから若いうちから大きな作品を貯めて 作り、それらを倉庫にしまってきた。それが僕の蓄えになっているんだ。60歳を超えたので、昔のように ヤシの木に登ることはなくなったし、大変エネルギーを使う大きな作品作りはしなくなった。 今は小さい作品だけを、作っているよ。


Q14:日本の人へメッセージ
日本の人へメッセージ?そうだね。 No money is good ! お金がなくてもいいんだ、っていうこと。生活ができて、心が幸せならそれ だけでいい。そして、健康であることは大切。そうすれば、どんなことでも人生にもたらすことができるよ。



以上、グレン・オクマさんのインタビューでした。
ありがとうございました。


 
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●陶芸家クレイトン・アメミヤ氏独占インタビュー
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